vol.2 第二回 「治療を途中にしてはいけません」

仮歯にしたことにより右側で食事をしていれば左下奥歯は痛まなくなり一息つくことができました。その週末の土曜日は顕微鏡歯科学会セミナーの講演もあり、バタバタとしたまま半ば歯の痛みを忘れたまま過ごし、日曜日からは1週間の夏休み休暇に突入。日頃家族サービスもできないので、この夏休みには家族全員で九州へ3泊4日の旅行へ行ったのです。

旅の愉しみは、知らないものを観て、美味しいものを食べることですよね。今回の旅でも知人に紹介してもらった豚肉料理のお店を訪ねました。そのお店一番のお勧め料理は豚肉のスペアリブ岩塩焼きです。焼きたての骨付き肉に噛りつくと、歯の間から溢れ出す肉汁が溜まらない味で、これを生ビールとともに空っぽの胃袋へ流し込みます。旅の疲れも吹き飛ぶ美味さです。子供達もフウフウ云いながら噛りついています。

子供達の喜んでいるのを見るのは楽しいなぁ、と思いながら更に一口、噛りつきました。きっと油断していたんだと思います。仮歯の左側を庇って、右側だけで噛んでいたのですが、スペアリブに付いていた小さな岩塩の粒がコロコロと転がり左下奥歯へ。それと気付かない私は肉の食感を味わうために思いっきり噛んだのです!!

悪夢の第二章の始まりでした。あのときの痛みは忘れられません。痛い、という一言ではとても表現できないような体験でした。雷に打たれたような一瞬の衝撃とともに左下顎から全身へ激痛が走り抜けました。ううっ、と呻いた私の前で子供達が心配そうに私の顔を覗き込んでいます。冷や汗、脂汗、全身の毛穴からイヤな汗が噴き出すのを感じながら暫く動くことすらできません。1分程経ったでしょうか。痛みが僅かに引いたのを見計らって恐る恐る歯が当たらないように口の中の食べ物を飲み込みます。あれほど美味しかったスペアリブも今はもう味のしないただの肉の塊です。

楽しかった夕食の風景も一変しました。子供達に心配かけないように平静を装おうとはするものの、食事の手は止まったままです。いきなり無口になった私を気遣った妻が声を掛けてくれます。「どうしたの?」「う、、、ん。左の歯で噛んりゃって、、、」歯が当たって痛むのが怖くてうまく喋れません。若干の涙目で妻を見つめると「可哀想に、、、」と憐憫の目を返してくれたのを見て少し痛みも和らぎます。

その後も次々と名物料理が運ばれて来ましたが、子供達が食べるのを眺めはするものの、手を付けられる状況ではありません。自分だけ食べられない悲しさ、つまらなさを感じ、患者さんの辛さを初めて我が身として知ったわけです。

食事が終わり、会計を済ませてお店を出てもまだ痛みは続いています。お土産屋さんを冷やかしながらのホテルまでの帰り道ですが、私の意識はとにかく歯が当たらないようにすることだけ。つばを飲み込むのも注意しながらです。なんて不自由でしょう。歯科医院の看板だけがやたらと目につき始める始末。もはや観光旅行ではなくなってしまいました。

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  1. vol.1 第一回 顕微鏡歯科医が治療を受けるとき
  2. vol.7 第一回 「三大激痛(前半)」
  3. vol.5 第五回 「それは無いでしょー」
  4. vol.6 第六回 「やはり安心」
  5. vol.3 第三回 「いい歯医者さんはどこに」
  6. vol.8 第二回 「三大激痛(後半)」
  7. vol.4 第四回 「手は洗います、たしかに。」

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